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樋口健二 インタヴュー「ボロ雑巾のように捨てられた原発労働者たちのために、今オレが語るしかない」

——代表作である原発内部での労働者の写真ですが、当時もマスコミはやすやすと原発内に入れなかった?

「77年、他社の連中が3日通って入れなかった。オレは1週間、とにかく粘って粘って、もう相手を脅かしながら困らせて、やっと敦賀原発に入った。でも、誓約書を書かされたね。撮っちゃいけないところだらけで、歩きながら撮るのもダメ。原発の中を社員と歩いて、オレが止まれば警戒して身体を押してくる。そしたら通路に真っ赤な服を着た人たちがいて、マスクから荒い息が聞こえてくるんだ。それでまた先に行くと、今度は労働者が溶接してるわけ。紫色の炎がウワーッとなって、騒音は耳をつんざくばかり。社員が引っ張って止めるのも無視して、労働者に近づいてったの。そうしたら彼が気づいてこっちを向いたんだよね。我慢できずにストロボをたいたら、社員がすっ飛んで来てさ、『もう打ち切りです。フィルムを抜きます』と。しばらくカメラを抱えて逃げ回ったけど、最後には平謝りして守りきったんだよ」

——その写真は発表された?

「79年には写真集(『原発』)を出したんだ。電力会社は困ったでしょうね。新聞にも載ったし、“平和利用”だったはずの原発で被ばくした人たちの証言と一緒に、こういう写真が出てきちゃったから。後で電力会社の社員がこっそり教えてくれたんだけど、新入社員が集められて、部長がオレの写真集を持ってきて、『こういう写真を撮られないように』っていう訓示が始まったと。原発内部の写真は、電力会社にとっては最大の汚点だったのよ。だって今までの“クリーン、安全”の逆さまでしょ。定期検査中、大量の労働者が人海戦術で働かされてるなんて、いちばん触れられたくないところを撮っちゃったもんだから。この写真はね、僕にとっては命懸けだし、二度とは撮らせてくれなかった。原発内部の労働者の写真は、全世界のカメラマンがなかなか撮れないんだ」

——2011年その写真が週刊誌の表紙を飾り、ご自身も「ワシントン・ポスト」紙ほか内外のメディアに取り上げられるなど、74歳の今になって再び活動が注目されていますね。

「今は鎮魂の思いがあるわけ。今までボロ雑巾のように捨てられた労働者たちのために、今オレが語るしかない。どんな優秀な学者でも、オレのこの語りはできない。だから今、労働者のために語ろう、そのために全国をまわってやろうと。そしたら元気出ちゃってね。オレなんかの話をききたいという人が全国にいる。3・11以降、すでに60回近く講演をしたからね」

——その元気に「Save Humanity」実現の鍵があるように感じます。

「非常に簡単なことなの。今まで生きてきていちばん重要なことはね、相手に対する優しさ、思いやりね。強者だけが生き残るような社会はいけないよね。弱者を大切にしない国は絶対に潰れる。それにしても現代社会の裏側ってのは、なんでこんなに暗いのかね。人間社会ではね、強いのが弱いのを利用して、合法的に踏みにじってずっと生きてきたの。今回の事故で、それがたまたま破れた。オレがうれしかったのは、この潰されていった被ばく労働者たちがね、今までほんの一部の人しか関心がなかったのに、闇のなかからやっと表に出てきた。国民に降りかかった問題だからみんな気がついて、本気になっているんだ。だから、オレは希望を持ってますよ」

——同じ問題を繰り返さないためには、私たちに何ができるでしょう?

「まだ、日本にある原発54基全部が停まったわけではない。ということは必ず13カ月に1回、定期検査がある。その度に、1基の原発に1日1500人以上入る。それで若い人たちがどんどん被ばくしていくんだ、未来なんかない。ここで本気で考えて、自然エネルギーへの転換をしなきゃいけない」

KENJI HIGUCHI

kenji higuchi 01 樋口健二 インタヴュー「ボロ雑巾のように捨てられた原発労働者たちのために、今オレが語るしかない」 樋口健二 ● 1937年、長野県生まれ。報道写真家。日本写真芸術専門学校・副校長。日本写真家協会・世界核写真家ギルド会員、日本広告写真家協会学術会員。2001年、核廃絶NGO「ワールド・ウラニウム・ヒアリング」の「核のない未来賞」教育部門賞を日本人として初受賞。11年、福島の原発事故後に出版された『原発崩壊』(合同出版)で、平和・協同ジャーナリスト基金賞大賞を受賞。著書に『闇に消される原発被曝者』(八月書館)、『これが原発だ カメラがとらえた被曝者』(岩波ジュニア新書)など多数。

Text by Yuta Man
Photographs by Shinsuke Kojima (FLAME)


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