医師にして元マッキンゼーコンサルタント、MBA、米国公認会計士という、異色の肩書を持つ男。
未曾有の大地震により“人間性ある”生活が奪われた東北でいちはやく地域に溶け込み、在宅医療に特化したクリニックをオープン。
医療の分野から、被災地に“Save Humanity”の灯をともす。
——9月1日、宮城県・石巻市に在宅医療のためのクリニックを開設されました。まず、なぜ石巻を拠点に選んだのですか?
「東京で同じくホームクリニックをやりながら、被災地のために何かしなければならないとは思っていました。すでに石巻で活動していた医師と東京で知り合いになって、5月に一緒に現地に入ったのがきっかけです。避難所や仮設住宅で、やることがなくてただ横になって寝ている状態の高齢者の方たちを見て、避難所も10月に全部閉鎖になりますし、これから誰が面倒をみるのかなと。各地から来るボランティアや医師も永遠に続くわけではないですから、地元に根ざして地域医療を継続できるような仕組みが必要だと思ったんです。でも自分の家も流されているような状況で、新しく病院を開こうという先生は地元にはなかなかいなくて、ならば自分で立ち上げようと。東京のクリニックも軌道に乗っていて自分がやれる時期だったのも、天命なんじゃないかと思いました。今は週の半分以上を石巻、残りを東京で診療しています。ここまでやることになるとは最初思っていなくて、周りもですが自分もびっくりしていますね」
——そこまで被災地のために活動しよう、と思える原動力とは?
「もともと、人を救いたいという気持ちがありました。僕は医師になってからマッキンゼーに勤めるという大きな転換をしているんですが、30歳過ぎくらいまではかなり保守的な人間だったんです。所属している組織とか学歴、職歴が自分のアイデンティティだ、みたいに考えていて、その枠組みのなかで人を助けられればと思っていた。ところがある程度自信もついてきて、組織の名前ではなく、リスクはあっても自分の名前で世界を舞台に勝負したい、そのほうが自分の価値が出せると思うようになった。その準備もあってマッキンゼーに行ったんです。最初は自分の名前で行動することは自分にとって意味があると思っていたんですが、意外と社会にとっても重要な活動の種になるんだなとわかってきて。たとえば今回も、僕が石巻で活動し始めると、そこに対して資金も人的支援も、ものすごく多くの応援をいただいて、次の活動につながってくる。東京のクリニックを立ち上げた頃から、口で言うよりまず一歩進むことが重要だということはわかってきていましたし、もともと楽観的で『何とかなるさ』みたいなところがあるので(笑)、立ち上げる時もあまり悩みませんでした」
——石巻ではどんな活動を?
「高齢者や末期ガンの患者さんなど約20人を、2〜3人の医師が自宅訪問で診ています。東京でクリニックを始めた時は1カ月の患者さんが9人だったことを考えると、これは予想外に多いですね。理由のひとつは、石巻はもともと高齢者が多いのに医療過疎と言われていた地域で、社会的な要請が大きかったということ。そして我々も、地元の方々に受け入れられることを第一に考えて努めてきたからです。石巻は漁師さんの街で、ある意味最初は排他的なんですが、一定のところまでいくとすごく仲良くなれる、というところ。だから最初はすでに現場で診療している先生たちの邪魔にならないように、彼らが行けない場所に行くとか、まずそれをやった。地元の看護師・介護士さんたちとの勉強会も始めて、自分たちの価値を共有・提供することによって、来てくれてよかったと思ってもらえるよう注力しました。
実際、被災者の方たちを診療して話をしても、心の奥底にある感情はなかなかわかりません。でも被災している現地採用のスタッフが患者さんと話すと、僕ら外部の人が話すのとぜんぜん違う。大変な経験をした人たちがそうして心を通わせ、新しくコミュニティを作っていく時期に来ていますが、とはいえ現地の人たちだけだとうまくいかないかもしれない。スピード感がないかもしれない。だから外部の我々が必要な医療を提供し、政治や行政をある程度後ろにつけながら、活動をしていきます。でも、行政が動くのを待っていては始まりません。行政が仮設住宅にクリニックを作るという話は以前も出ていましたが、実際きちんとした形で被災地にクリニックを開くのは、我々が初めてと言われているんです。行政は特定の場所にだけ便宜を図るというのがやりにくいですから、新しいことを始めるのは得意じゃないし、動きも遅い。だから民間が主導してまずひとつモデルを作って、それを広めるのが行政の役割なんだと思います」
——一般の人は、被災地に対してどんなことができるでしょう。
「僕が思うのは、“足るを知る”ということです。今回の節電でも、生活はできたわけですよね。自分が消費エネルギーを減らすことで被災地では停電が避けられるだろうな、などと考えれば、精神的な安らぎも得られる。ボランティアとか寄付だと、自分のものだったお金や時間をあげるという感じで、長く続く活動じゃないと思うんです。そうではなくて、自分の生活自体をある程度控えめにするように考えれば、社会的貢献もしやすく、世界はもうちょっとハッピーになるんじゃないかと」
——今後の展望を教えてください。
「我々は高齢先進国モデルとして、日本の在宅医療サービスを海外でも提供し、もう一度尊敬される国になりましょう、と謳っています。なのでできれば来年から、海外にクリニックを作りたいですね。実際いちばんやりたいのは、皆が自分の住んでいる場所で安全・安心を持てるようにする、ということなんです。何かあっても医師がすぐに行けて、それができない地方や海外では、ネットなど何らかの手段で近所の人なりが連絡を受け、代わりに行ってくれるというシステム作り。何かあった時すぐに医療やお金の相談ができる、法律の相談ができる、必要なものはネットで注文したら送られてくる……要はITを使いながら、人々の生活を見守るシステムを作ることが理想なんです。その中心が医療である必要さえ本当はないんですが、ビジネスの世界に出て戻ってみると、一般の人の医師や医療に対する信頼感はものすごく強いなと気づいて。ならば、それを核にシステムを構築しようと」
——人間性のある生活が失われた被災地で、どうすればそれを守っていけるでしょう。
「個と個の関係のなかで、互いの価値観を認めて敬意を払うということが、人間関係の基本。当然、相手が社会的弱者であってもです。誰かが誰かの人間性を守るのではなく、お互いに守り合う。そのうえで、相手が大変な生活をしていたら、社会として救っていく。といっても衣食住だけでなく、人と人が交流して心を通い合わせて、こういう生活のなかでも生きててよかったなと思えるものを提供するのが、被災地における“人間性を守る”ということなのかなと思います」
SHINSUKE MUTO
武藤真祐 ● 1971年、埼玉県生まれ。医療法人社団 鉄祐会理事長。医学博士、内科医、循環器専門医、米国公認会計士、MBA。96年、東京大学医学部を卒業、2002年に同大学院医学系研究科博士課程を修了。東大病院などに勤務後、宮内庁で侍医を務める。その後医療現場での問題を目にし、「問題解決スキルを身につけるため」、コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニーに勤務。10年東京に、11年宮城に祐ホームクリニックを開設。支え合う高齢社会と地域コミュニティ作りを目指し、活動している。
Interview by Joe Yokomizo Text by Tomoko Inoue (RSJ)
Photographs by Saiko Nishimura for SELF:PSY’S






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